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63件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1951-02-17 第10回国会 衆議院 懲罰委員会 第7号

これはソ連代表シーボルト議長お答えなつた第二項でありますが、「ソ連代表今回の声明書はさる一月二十七日国会で行われた共産党代議士川上貫一氏の演説とその内容、調子を同一にしており、国内共産勢力を援助し、川上氏を懲罰に付そうとする国会懲罰委員会に対する威嚇行為である、」かように新聞は伝えておるのであります。

内藤隆

1950-07-31 第8回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号

ただシベリアのごとき、あるいは総司令部シーボルト議長が百二回の対日理事会で申されましたように、ソ連側説明のない限り、約三十七万は死亡と推定するというふうに仮定的ながら申されたこともございましたが、いずれも抑留後の説明がないということが致命的な点でございます。われわれはまだわれわれの調査の内訳も申し上げられない段階でございますので、この点は御了承願いたいと思います。

武野義治

1950-04-30 第7回国会 衆議院 本会議 第45号

もつつも徳田証人は、タス通信を援用して、これを根も葉もないことだと言つておるが、この席にい合せて穂田要請を聞いたという者は、当委員会証人としては山口茂小笠原唯雄日高清渡邊武士橋本忠義山森友太郎峰田重吉等の諸君でありますが、対日理事会シーボルト議長の手元にある四十四通の口述書宣誓署名人――前記証人中四名は重複しております――または山形県下における署名運動参加者十二名、石川県下の署名運動参加者七名等多数

鍛冶良作

1950-04-27 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第28号

私はあなたとここで議論をしようとは思いませんが、ただ先般来シーボルト議長あるいは日本政府調査によりましても、三十七万六千名の日本人がまだいるであろうと発表し、調査されておるのであります。そこへもつて来て、昨年は九万五千人近く帰り、その後二千人あるいは四千人帰つて参りましたが、そうした数字を合算いたしましても、まだ二十万近くの人が帰つていない。

佐々木秀世

1950-04-27 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第28号

しかもその一年以前に、シーボルト議長正式声明、あるいはGHQの正式声明があつて、毎月千六万人を帰そうと言つておる。しかも砕氷船まで送るという交渉をしておる。そのときに日本共産党は、ただ船を送れ、配給品をふやせ、具体的行動は……。(「自由党は何をした」と呼ぶ者あり)自由党自身のやり方については、自、民、社、国協各党は積極的に取上げておると書いてある。

西村直己

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

こういう非常に高い、ほとんど四分の一に達する死亡率なのでありまするが、また特に悲惨であつたところは、二十数箇所の收容所というものは一万一千名のうち三千名が死亡したというような的確な報告もあるのでありまして、このことは対日理事会シーボルト議長からも報告されておつて、そうしてそれは新聞紙上にも掲載されたのであります。

安部俊吾

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

○西村(直)委員 あなたは内地帰つてからは、共産党員である以上米ソ協定はつきりわかつていると思いますが、帰還が遅れたがゆえにやかましい問題になつてシーボルト議長中心に多数の声明が出た。お帰りなつた以前の状態はあなた方は御存じないと思うが、しかし内地へお帰りになつて、なぜ帰還が遅れたかということに対しては、どういう解釈をなされますか。

西村直己

1950-04-05 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号

安部委員 その以前に、こういうようなおもに徳田要請を否定する資料になるような弁明をしておきながら、今度は四十三名か四十四名は対日理事会シーボルト議長まで確証を持つておるということを新聞発表しておる。それを幾多の人々が発表しておる。山形においてもあなたの言つたことははなはだうそである、逆である、われわれはほんとうのことを言うと証言した者も十二、三人ある。

安部俊吾

1950-04-04 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第18号

梨木委員 私たち新聞で承知しておるところによりますと、反動を帰すなというようなことを徳田書記長ソビエト同盟言つてつたというような事実があるということを述べた調書というものが存在しておるということを、対日理事会シーボルト議長から新聞を通じてわれわれは承知しておるのですが、その問題についてお伺いしたいのは、そういう調書をどこかでとられて出したという事実があるかどうか。

梨木作次郎

1950-03-18 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第16号

例えば三月一日の対日理事会に私許されて傍聽しまして、そのときに、シーボルト議長が、その三つの証言のことを声明されました。その中にもはつきりとそういうふうに書かれてある。全部合すると四十四あるということも声明の中にありましたが、そこであなたは、先程証言にも、書面にも大体大要同じようなことを証言されております。

淺岡信夫

1950-03-07 第7回国会 衆議院 運輸委員会 第7号

阿波丸請求権を放棄したときの阿波丸協定附属條項の中に、吉田首相シーボルト議長の間にも、援助資金は将来日本の有効な債務として残つておるのだということをはつきりうたつてあります。それから今度見返り資金から興銀、勧銀その他特殊銀行で、やはり五十二億ほど投資されますが、これは大体十年間で償還することになつております。すべてやはり償還の條件がついておる。

林百郎

1950-03-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第14号

かねて問題になつていた日本共産党書記長徳田球一君のソ連当局に送つた書面について、去る二月二十三日の参議院引揚委員会で喚問した証人証言で、ほぼ明瞭になつたが、本日の新聞机上発表された対日理事会シーボルト議長声明によれば、ソ連引揚者四十四名のりつぱな公述書によつて徳田書記長からソ連当局に対し、日本人捕虜で共産主義化されない者は、送還しないようにと要請したことが明瞭であるとのことであります。

菅家喜六

1950-02-23 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第8号

シーボルト議長発表された対日理事会の前の日に、明日になれば明確になるというような御答弁は私はその場に出ておつたけれども聞かないような気がいたすのですが、念のためにその点を申し上げて、もし答弁ができるならば、はつきりと一言で解決済むことでありますから、放送局の方の御答弁を願いたい、かように思います。

玉置信一

1950-02-16 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第7号

ところが、その判定をどこに置くかということの客観的情勢などを判断なさる場合に、この問題について、私この前も申したのですが、数字の問題などが、対日理事会シーボルト議長声明以前に、すでにこの長野県で取上げておるようですし、それから言葉の上で、少し激越なところがあつたようですが、——これも私個人としては一応認めたのですが、しかしこの帰還促進運動を大いに展開するためには、こういう放送を通じて、県民の意識

受田新吉

1950-02-16 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第7号

この島立さんの放送原稿が、いわゆるシーボルト議長のあのステートメントのあとであれば、字句の修正くらいで行けたのじやないか、かように思いますが、これはその以前であります。いわゆる客観的な資料、それに基いたものでなければいけないのであります。まず一番重要なのが、その内容の点であります。次は修辞の点であります。

金星三次

1950-02-16 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第7号

それから第二の客観的な資料と言われましたが、対日理事会シーボルト議長の発議がありまして、あれを援用されて言われる場合には、私はそのときには、またその男がかわつて来るではないか、かように思つております。  それから同じもので、次に放送させるかどうかという問題につきましては、これは別の問題になりますので、答弁の限りではない。

金星三次

1950-02-15 第7回国会 衆議院 外務委員会 第4号

ところがあなたも御存じのように、シーボルト議長は最近はつきりと、これは日本側数字であるということを言つておるのです。一体あなたが今まで言つておられる総司令部数字と言うのと、シーボルト議長声明とは大いに食い違つておるのですが、なぜこういうことが起つているのか。あなたはそれでもやはりこれは総司令部数字であると、依然として言われるおつもりでありますかどうか、お聞きしたいと思います。

聽濤克巳

1950-02-03 第7回国会 衆議院 予算委員会 第7号

吉田国務大臣 引揚げ問題につきましては始終お答えをしますが、総司令部では非常に熱心にこの問題は再三再四取上げておつて、最近においても対日理事会シーボルト議長発言をされて、遂にソ連代表は退席するというところまで、熱心にシーボルト議長が取上げて、この問題を始終討議の中心にいたしておるのであります。

吉田茂